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北畠家

图片来自office-morioka

北畠家(きたばたけけ),又称北畠氏(きたばたけし),是日本姓氏苗字)。北畠家属村上源氏中院家的庶流,原为公家,后成为战国大名。北畠家在日本南北朝时代曾是南朝的忠臣,受后醍醐天皇的信任。

生平

南朝战败后,归降于支持北朝的室町幕府,获封伊势国司,维持对伊势国南部的统治[1]。北畠氏的本据是位于伊势国一志郡的多气城(雾山城)。1576年,雾山城被织田信长攻克,北畠氏自此灭亡。

明治时代,久我家的北畠通城因与北畠氏同属村上源氏而改姓为北畠氏,使北畠氏再兴[2]

历代当主

  1. 北畠雅家(1215年 - 1274年)
  2. 北畠师亲(1244年 - 1315年)
  3. 北畠师重(1270年 - 1322年)
  4. 北畠亲房(1293年 - 1354年)
  5. 北畠顕能(1326年? - 1383年?)
  6. 北畠顕泰(1361年? - 1414年)
  7. 北畠満雅(1382年? - 1429年)
  8. 北畠教具(1423年 - 1471年)
  9. 北畠政郷(1449年 - 1508年)
  10. 北畠材亲(1468年 - 1518年)
  11. 北畠晴具(1503年 - 1563年)
  12. 北畠具教(1528年 - 1576年)
  13. 北畠具房(1547年 - 1580年)
  14. 北畠具豊(1558年 - 1630年)

北畠男爵家

1871年(明治4年),久我通城改姓北畠。

  1. 北畠通城(1849年 - 1888年)
  2. 北畠克通(1875年 - 1943年)
  3. 北畠义郎(1897年 - 1961年)

影片

戦国大名19 北畠家 伊势国司から戦国大名へ 北畠亲房“神皇正统记”【研究者と学ぶ日本史】

参考文献

  1. 日本の国宝: 中部, 関东. 朝日新闻社. 1999: 83 [2018-10-07]. (原始内容存档于2019-05-14). 
  2. 日本历史学会. 明治维新人名辞典. 吉川弘文馆. 1981: 331.